ここんところ仕事が忙しかった、つーよりか独りで空回りして週末を前にしてものすごーくイヤな気分になっていました。
原因は色々あるんですけどそれは割愛するとして、溜まりまくった仕事をフツーの時刻に無理矢理切り上げました。
その頃からお尻に違和感を感じていたんです。
ここしばらくは大体夜の10時から11時頃まで仕事をしていたんですが、夜間は事務所には自分以外は誰もいない状態でしたから、
PCにiPod繋げてiTunesで音楽聴くか、ノートPCを脇に置いてDVDを見ながらExcelと格闘したりして仕事してました。
そんな時はハッキリ言って人払いしたいのですが、そんな日の夕方に限ってウチの親(社長)と下請けさん達との仕事以外の話が続き、
正直五月蠅いと思っていました。仕事の連絡事項が済んだらとっとと帰宅して欲しいと。
しかしわたしが禄を食んでいる業界は高齢の方の多い業界です。オヤジとは話が合ってもわたしとは話が合うわけではないし、
幾ら下請けさんとは云え、自分の親より10年ほど年齢の低い人々に「仕事したいから帰ってくれ」とは到底云えません。
わたしの我が儘と言えばそうなのですが、結局それでその日はやる気をなくしてしまったので、
翌日の土曜日の電話もあまりかかってこない誰も尋ねてこない日にガシガシやって、
日月の連休は好きに過ごせばいいと思ってました。
土曜朝目覚めたら、左の尻の辺りが異様な痛みを感じました。と言うより痛くなって目覚めたわけです。
起きて歩くことはおろか寝返りすら出来ない有様。とりあえず用足しだけはなんとかと思ったのですが、
通常の状態では痛くて起きあがれず、やっと起きたと思えば今度は左股関節あたりに激痛を感じて歩けたものではない。
ベッドからわずか15mほどのトイレすら遠く感じましたが、とりあえず何とか済ませてベッドに戻りました。
仕事関係らしき電話が数本入ってきた様ですが、最初の1本取っただけでやめました。伸ばせば掴める受話器が取れないのです。
掴めるのは電池が切れる前の携帯電話だけで、それで実家に電話して事態を母親に伝えてから下のエントリーを書きましたw
食事も用意してもらえましたが、箸やスプーンでないと食べられぬものが用意されたのでそれらは食べられず、
寝転がってもなんとか食えるヨーグルトだけ流し込んでました。もらった市販薬もヨーグルトで流し込みました。
夕方近くになってやむなく救急車を自分で呼びました。
あとで家の前に救急車を付けるのはみっともないからとタクシーを呼ばなかったことを親にとがめられましたが、
痛くて起きあがれない自分自身はもう非常事態なので、救急車を呼ぶことしか思いつかなかったのです。
それでも一度電話して一旦は止めたぐらい救急車を呼ぶことに抵抗を感じました。救急車は15分ほどで来たはずです。
場合によっては入院を覚悟して、とりあえず側にあった読みかけのAUTOCAR JAPANと携帯電話だけは持って行き、
なんとか這々の体で階段を下りてストレッチャーの上に転がりました。
救急車の中でとりあえず仕事の関係先数件に電話で今後の相談をして、その後は友人数人に電話を入れました。
搬送先は某大学病院。15年前にオヤジが入院したところであるし評判の良い医療機関ということで救急隊員にそこを指定し許可も出ました。
そこでは椎間板ヘルニアと座骨神経痛と診断され、お尻にとてつもなく痛い痛み止め注射をカマされました。
ここしばらく重たいものを何度も積み卸しする仕事が続いたことが大きいようです。
入院するほどの事態ではなく暫くは通院の必要があるとのことで、とりあえず実家に電話してもらってウチの近くに住む仕事の関係者に迎えに来てもらい、
土曜の晩は実家で寝泊まりすることにしました。お騒がせしましたです(^^;;
投薬と湿布薬、それにコルセットを腰に巻いたおかげで背中に少々痛いことと左足甲にしびれを感じている程度まで良くなって、
今はこうして自室のPCに斯様なアフォタレなエントリーをナントカのひとつ覚えの如く書いておりますが、
昨日の朝からはとりあえずフツーに歩くには問題がなかったので、昼過ぎからクルマで両国の江戸東京博物館へ出掛けてました。
大鉄道博覧会~昭和への旅は列車に乗って~

ま、中には旧交通博物館が所蔵していた模型とかがありましたけど、
昭和30年代の「日本国有鉄道」の車両の様式美が好きなわたしはこの展示物が一番気に入りました。

昭和31年当時の東海道本線の特別急行「つばめ」の1等展望車(マイテ49)の実物大モックアップです。
現代で云えば、海外行き航空機のファーストクラス並みかそれ以上のステータスのある「場」であったようです。
下の2枚がその全編成の模型です。

