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今月のラリー本

2冊買いました。1冊は新品の洋書、1冊はヤフオクで落としたものw
まずは先に洋書の方を。

Audi Quattro: Haynes Great Cars Series

いくらイタフラ車好きでもこのクルマだけは別格。
ラリーでの戦歴もさることながら、ロードカーの年式別の特徴なども書いてあります。
宝くじが当たれば是非欲しい一台。91年最終モデルの20V Quattroをヨーロッパから引っ張ってきたいw
んでレストアして、長野辺りの雪道を走りまくって、泥だらけのまま尾山台のアウディ・ジャパン本社へ(マテ)。

またWRCのBP Ford Abu Dhabi World Rally Teamのマネージャーで英国選手権で活躍したコ・ドライバーである、
フィル・ショート氏が所有しているSport Quattroの写真も出ています。

左は81~82年辺りの英国選手権でハンヌ・ミッコラ大明神ご使用の初期モデル。
右はスティグ・ブロンクヴィストが83年シーズンに同選手権で使用した、所謂「A2 QUATTRO」。
A2は初期モデルに比べてフェンダーがふくらんでいるのがわかります。
この2台を含め過去使用されたRally Quattroは、イングランドのデヴィッド・サットン氏の会社で保存されています。

因みにヘインズのクワトロ本はもう一冊あってそっちも持っているけど、これ自体ごく最近の本です。

もう一冊は長年探していたラリー&rally JAPAN '87。昨年暮れに倒産した山海堂の発刊。
ラリー&rally自体はそれこそ70年代前半から毎年発刊されていまして、わたしも古いのを数冊持っています。

87年シーズンの国内ラリーはある意味に於いてエポックメイキングなシーズンでした。
前年の86年シーズン途中の5月1日に日本国内のナンバー付き競技車両の改造に於いてレギュレーションが改正されました。

日付に因んで、「5.1規制」と呼ばれました。

ロールケージ、バケットシート、ラリータイヤ、4点式以上のシートベルト等の装着が禁止されたのです。
ラリー車やダートラ車のみならず、ナンバー付き車両のレースだったスターレット・ノーマルカップの競技車にも適用されました。

ラリーをするなと云わんばかりのこのような「改悪」レギュレーション公布の理由は諸説聞いていますが、
そういった重要なラリー装備が関係者の努力によって改造車検を取得することを条件に復活したのがこの87年シーズンです。
今、日本でWRCが開くようになったのは関係者諸氏の努力と、ラリーを愛する心があったからに相違ありませんが、
「WRCファンだ!!」と叫ぶ前に、国内ラリーではこういう暗黒の時代があったことを覚えて欲しいのです、ラリーファンとして。

コレの中身は、当時国内ラリーで使われた車種(ランチア・デルタHF 4WDもある!!!)についての解説が主ですが、
こんなクルマも名手綾部美津雄選手の手により、Bクラス(1001~1600cc)に於いてランキング2位となりました。
綾部選手は暗黒の86年シーズンでCクラスチャンピオンになっています。

この当時のプジョーの国内インポータは車種毎に違っていたような覚えがあります(詳しい方ヨロシコm(__)m)。
プジョー205は英国車インポータであるオースチン・ローバー・ジャパン(ARJ)がディーラーチームとして参戦を開始、
綾部選手の才能と間断のない開発で望外の成績を得ました。翌年は309GTiを投入したような記憶があります。
国内ラリーでもARJ自身がGr.B時代のプジョー205T16の活躍にあやかってかなり真剣にプロモーションをしていたようです。
パーツですが、現在ならフランスのプジョー・スポールに競技車用パーツを頼んで送ってもらうことが出来ますが、
当時そういう考え方がなかったのか、あるいは予算の都合か迅速な対応が求められたのが理由かはわかりませんが、
このプジョー205GTiのスポーツパーツは日本製で占められたと聞いています。ショックなどはGAB(つまりKYB製)でした。
因みに205GTiは1.6も1.9もサンルーフ付ばかりが輸入され、サンルーフ無しは1.6がわずかしか入らなかったと云います。

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Comments

オート・ポワ・ルージュの大竹さんなんかは、この頃にARJのメカとして参戦してたんだと思いますよ。

この頃は205シリーズがARJ系(後にスズキ系も扱うがPDIは当時別)
505が西武自販の扱いでしたね。
本格的に「プジョージャポン」としてPDIも統合していくようになったのは'91の話です。

('88~'89ごろだとスズキものとARJものでPDIも違っていたため細かい部分で差異があったり。
マニュアルも別物ならオーディオもスズキものがクラリオン、ARJものがパナソニック、
205GTIも100ps仕様と120ps仕様で分けてたり。当時のスズキものカタログだと
205GTIと205GTI-120と2モデル混在なんて出ていたり)

原工房の原さん(オート・ポワ・ルージュ大竹さんの師匠)によると
大竹さんが入ってきたのは309GTIが入ってきたころだという話なので
ちょうどこのラリーカーが全日本戦をやっていたころじゃないかと。
このころのプジョー用チューニングパーツに中間ECU(燃料増量ユニット)とか
LSDとかいろいろ出てたんだけど、あの資料どこいったかなぁ。

レスが遅くなってスンマソンm(__)m

大竹さんがARJスポーツでメカニックをしていたという話は一部で聞いたことはあります。
309GTiって云えば、某誌にその当時の309GTiのラリー車が150万で売りに出されていたとか。
309GTiは88年のエントリー。ドライバーはこの方だと判明。
http://www.nishiogarage.com/Nishio&NG.htm
リザルトも調べてみましたが、1601cc以上が一番上のクラスだった当時の全日本ラリーでは、
2Lターボ4WDの国産車とでは刃が立たなかったのも事実。7戦中4戦に出てリタイヤが2回とテールエンダーでの完走だったみたい。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/rally/list.cgi?race=&race_cond=or&ldriver=&fdriver=&c_place_no=&year1=1988&month1=1&year2=1988&month2=12

バブルの頃、所謂アッパーミドルサルーンを持っていなかったメーカーがインポータを買って出た時期がありましたな。
スズキしかりマツダしかり・・・・・・。
しかしこーして見るとなんてややこしいことをしていたのだと。メーカーもよく付き合っていたなとw

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